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山雅レジェンド [歴史]

先週末日曜日(23日)に東筑摩郡山形村のアイシティ21でおこなわれたキックオフ直前イベント。会場やラジオの前で参加された方も多いと思います。

3年連続でゲスト出演してくれた、平ちゃんこと平畠さんが、ラジオ中継が終わった後、会場に集まった松本山雅サポーターの前でこんなコメントを残してくれました。

「これだけ多くのサポーターさんが、山雅の歴史をしっかりと作ってきているって凄いことなんで、これからも山雅と共に地域の輪を広げて欲しいと思います」(思いっきり意訳もありますが、だいたこんな感じ)

松本山雅がJリーグに参入して、アルウィンには多くのサポーターが駆け付けてくれています。また、アルウィンには足を運んだことのない方でも、松本山雅に関わってくれる方は飛躍的に増えました。

松本山雅がJリーグに昇格してからサポーターになった方には、その方の山雅の歴史があり、2009年のJFLからサポーターになった方には、その方の山雅の歴史があり、さらにその前の地域リーグ時代からサポーターの方には、その方の山雅の歴史があります。
ひょっとしたら創設した1965年からずっと関わってくださっている方もいらっしゃるのかもしれませんね。

そうした色々な山雅の歴史を持った方々と話していると、ふと感じることがあります。1965年からこれまでに山雅に携わってきてくれた方々や山雅戦士、山雅の歴史を記録に残し、伝えていくことはできないものか。少なくとも、このネットが誰でも使える時代に、自分が知りうる歴史だけでも記録に残すことはちょっとは価値のあることなんじゃないか、と。極端なことかもしれないけれど、まだこの世に誕生していない山雅サポーターが、何十年後かに山雅の歴史を紐解くにあたり、そうした情報に触れることで自分が過去から山雅のことを応援しているように思い、さらに松本山雅をサポートしていこうと強く感じ、さらなる歴史を築いてくれるサポーターが増えていくのではないか、と。

そういう意味で、YouTube(動画)しかり、テレビ録画しかり、松本山雅関連書籍しかり、オフィシャルサイトしかり、ネット上の画像や記事しかり、へなちょこ幣ブログしかり。

そんな、大げさな書き方をして自分のモチベーションを無理やり上げているわけですが(笑)。

ということで、私も1965年から関わっているわけでもないですし、Timに誘われた2004年はおろかその翌年の2005年でさえ、1部昇格の紙テープを“何が何だか良くわからず、勢いに任せて投げていた”ことぐらいしか記憶にない体たらくゆえに、歴史を伝えるなどという感じでもないのですが、そうはいっても、何か山雅に関わってくれた人、特に選手については伝えていきたいと思う次第なわけです。

えー、前置きが長くなりました。

松本山雅オフィシャルサイトに2004年からという時期にはなりますが、ここにはこれまで山雅戦士として一緒に戦ってくれた選手の背番号系譜が記録として残っています。
 >2004~背番号系譜(松本山雅F.C.)

ここの選手名を眺めてみて「!」となった方も多いと思います。特にJリーグ昇格後にサポーターとなった方で「!」となった方はすでに山雅にどっぷりと深くはまっている方なのかもしれません。そう、この中には山雅で選手として活躍し、一旦クラブを離れたり一線を退いた後、再び山雅にスタッフやコーチとして戻ってきてくれた元山雅戦士が多くいるのです。

ということで、現役時代の写真が残っているスタッフ・コーチである「山雅レジェンド」を当時の写真で紹介し記録にとどめたいと思います(順不同)。

◎小林陽介さん(2009-2010)

2009/10/20 AC長野パルセイロ戦

◎小澤修一さん(2005-2010)


◎柿本倫明さん(2008-2010)

2009/08/15 AC長野パルセイロ戦

◎片山真人さん(2007, 2011-2012)

2007/04/08 FC上田ジェンシャン戦

◎神田文之さん(2005)


2005/10/23 トップ新潟戦

◎矢畑智裕さん(2005-2008)

2008/10/20 JAPANサッカーカレッジ戦

◎宮田潤一さん(2004-2007)

2007/10/13 トヨタ自動車北海道戦

何気にこの写真、凄い(笑)

2005/09/25 ヴァリエンテ富山戦

他にも以下のコーチがアカデミースタッフとして山雅に携わってくれていますね。他にもいらっしゃいましたら、すいません、補足お願いします m(__)m

寺島俊介さん、高橋耕司さん、小林克也さん、浅野隆さん、井上裕二さん


ここで「山雅レジェンド」という書き方をしましたが、今は他のチームで現役として頑張っている選手や現役を引退し社会人として働きながらクラブを立ち上げて子ども達にサッカーを教えている元選手、短期間だったかもしれないけれど山雅に在籍してくれた選手・スタッフも山雅レジェンドであり、ここで紹介した山雅戦士だけのことを指しておらず、誰一人として欠けていれば今の山雅はなかったわけで、そういう意味では、調べることができたら、今後も「山雅レジェンド」を細々とですが、紹介できたらと思っております。

山雅に携わってくれた=山雅の歴史、という意味では、対戦相手の選手・スタッフ、監督もそうなのかもしれませんね。そういう意味では、やはり長野の監督は、ある意味レジェンドなのかもしれないなあ。
現監督の美濃部さんは練習試合での対戦ですが、地域リーグ・JFL時代に研鑽を積んだ監督は山雅サポーターにとっても思い入れのある人物かもしれません。

 薩川了洋監督(2010-2012, 現FC琉球監督)
 バドゥ監督(2006-2009, 現京都サンガF.C.監督)

京都サンガF.C.と対戦する前には、地域リーグ時代のことを知ってもらうべく、バドゥ監督の紹介しつつ、山雅の当時の熱い(当時は無駄とも言われたw)戦いを振り返りながら、伝えていけることができたらなあ、と思います。
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山雅の歴史 その3 [歴史]

山雅の初公式戦。それは1967年の北信越大会だったそうです。
(大会名は不明です)

初戦は土曜日で魚津クラブ。
この初戦を山雅クラブは制します。(クラブとしての初試合は勝利ということですね)

 「まさか勝つとは」

と選手達も思っていたみたいで、その夜は大宴会だったとか。
2回戦は次の日曜日。前日飲んだ事もあり(?)対戦相手の富山銀行にコテンパンにやられます。
これでその大会は終了。

実はこの大会、選手の移動は乗りあわせ。もちろん自腹。
この時から、熱烈な山雅サポーター(もちろん女性ですよ!!)が自家用車でおっかけをしていた、とのこと。

うーん、ちょっと聞いたのと違ってるかもしれません(汗)

山雅の歴史を記録に残す、と書いておきながら、なかなか都合がつかず取材ができておりません。情けなや。また気合を入れて、飲みがてら取材することにします(長い目で見てくださいw)


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山雅の歴史 その2 [歴史]

そういえば、ユニフォーム販売の締め切りがあったんですよね。
皆さんはお気に入り選手のユニフォームをゲットできたでしょうか?
私は…申込を忘れてました…。

ん、お気に入りの選手ですか?

2008年のユニは28番でした。
ファン感でサインをもらいました。(オレがサインをもらうなんて…。それだけオトコの中の男です、ヤハは)

2009年は9番。若武者を影ながら応援。
シーズン序盤は期待通りの結果を出してなかったんですが、全社全国の準決勝のゴールでは彼の成長を喜ぶ親の気持ちになってました。ええ、独身ですけど(笑)
そういえば、ユニは撮影の時は着られないので、ほとんど着る機会はないんですけどね。


前置きが長くなりました。
そんな、松本山雅のユニ。
左胸にはエンブレム。そして、こんな文字が刻まれています。

 SINCE 1965 MATSUMOTO

松本山雅が創設された年。それが1965年。
が、こんな記念エンブレムもあるようなのです(撮影許可いただいております)。

 091228_2148~01.jpg

こんな私でもまだ生まれていないので年なので経緯を知っているわけではないのですが、どうやら1965年はクラブを作った年。クラブとして初めて公式戦に参加したのが、写真にある年だったようです(クラブ登録した年)。

山雅の発足から創生期を知る方は数少ないですから、少しずつお話を伺っていければ、と思っています。
と言いながら、なかなか実行に移せていないのが情けないところですね…。
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